卒論の二次(最終)題目の提出が6月末に迫り、いろいろ考えた結果
題目を『美意識論』として申請した。
副題は変えられるので、追って付ける予定。

先に提出した第一題目は『美学の圏域について』だった。
「美しい」ということばが日常語としてあまり使われなくなった昨今、
この語を巡る環境はどのようなものになっているか。
「美しい」が変貌しつつあるとしたら、美学もまた
変わらなければならないのではないか。
おおよそ、そのような関心のもとに書き上げるつもりであった。けれど、
より「私的」な関心、あるいは要請があるなということもうすうす感じていた。
「わたしの」関心(意志)とは、「うつくしく生きたい」というものである。
こうして形にするとひどく恥ずかしい字面だ。
大の男がなに言ってるのか、とも思う。けれど
いままでわたしが悩んできた、あるいは喜んできたことの多く・
その根底にはつねに「うつくしくあること」への渇望があった。
ものごとをスマートに推し進めることに美を感じる。
あるいは人が泥まみれになって・一心不乱になって成功をおさめる
そのすがたに美を感じる。
反面、規則の遵守や責任を全うすることにはあまり興味がない。ただし
一定の合理性・筋道の美しさがあれば納得はする。
物事の判断基準は道徳性ではなく「うつくしいかどうか」だ。
つまり美意識こそ、わたしが生きるためのよりどころなのである。
「美学の今後」というマクロな問題にも興味はあるけれど、
よりわたしの生に寄り添った問題として、それはある。
これまでの人生を振り返ること。そしてこれからの指針を作ること。
そんな試みになればいいと思う。
以下・方法論に関するメモ。
上にも書いたが、わたしは一般的にいう「道徳心」をもっていないと思う。
けれど、「美は善だ」とも思う。では道徳とは?善とは?
カントの判断力批判に[美−善−快適]の区別を書いたくだりがある。
半分納得、半分疑問。
いずれにせよ判断力批判の上巻及び、代表的な美学書は
一通りあたまに入れる必要があるだろう。
さしあたっての問題は上に挙げた三項の関係づけと、
[美学−美意識]の関係づけだ。頑張ろう。