森村氏は、美術史上有名な絵画に自ら「なること」、
本人は「美術を着る」、と表現するところの
セルフポートレート作品を制作している。
「自分は絵が上手くはなく、写真の技量もないが、それは
両方をある程度扱えると言うことでもある」。
このような美術に取り組むスタンスの背景には、美術を「わかる」ということへの
最大限の注意深さがある。
今回の個展では、シリコンオーディオプレーヤーを無料で貸し出し
展覧会全体を6時間目までの授業として構成するという
これも「わかる」ということに配慮をおいた方式がとられている。
(この「授業」はCDとして図録にも収録されている。)
ゆえに森村"センセイ"の授業は、これまでの著作をベースとした
平易な内容に終始している。
私個人としては、この"授業"は正直ものたりないと感じた。
それは著作(
踏みはずす美術史、講談社現代新書
)の内容を
展覧会がほぼなぞっているから、というのもあるかも知れない。
また、上述した"平易"さがそう感じさせるのかも知れない。
だが、この物足りなさは、何よりも私が
美術を「わかる」ということに対して意識的でないことの表れではないか。
「わかった気になる」ことはかんたんで、優越感さえ与える。
だが、"わからなくてもいい"のではないか。
作品の前に立ち、「なにこれ、よくわかんねー」とか、
「これっておかしいよね」とか
なにがしかの「感情の動き=感動」を得る。
それでいいのだ、というのが、きっと森村氏の考えなのだ。
今回一番笑ったのはマネの「オランピア」からとった『肖像』。
野郎が大まじめな顔で横たわって、でもベッドにはキモノが敷いてあって
足下には今風のミュール。
とどめに『黒猫』は招き猫に置き換わっている。
意欲的な、いい展覧会だった。
[美の教室、静聴せよ (図録) ]
[「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ (よりみちパン!セ 26)]