わたしの教わる教授は「学生のレポートに新説など求めない」という。
自分なりに身につけた知識をまとめ上げればよいと。
正しいと思う。
それを否定するつもりはないけれど、自分の中でいっぽうに
「神様が降りてくる」とか「知らんうちに小人さんが書いてくれた」とか、
そういうオートマティスムというか、偶然的なものへの
憧れがあるのもまた確か。
「まとめ上げる」・その作業にも創造性が宿る可能性は当然、ある。
どころかそうでなければ書く意味がないとも思う。
新説ではないにせよ、切り込みようにはその人が出るはずで、
ならばそれなりのものを絞り出さなければ嘘だ。
上に挙げた神様やら小人さんへの憧れは、つまり
下意識にたまった知の断片を・あくまで意識に上らせずに並べ替える
そういう静かな・密やかなダイナミズムへの憧れだ。
なにせひねくれ者なもので、正攻法は肌に合わない。
そんな訳で、わたしは基本的に
なにか「びびっとくるフレーズ」が降りてくるまでは何も書か(け)ない。
降りてきたら冒頭に添えて、あとは身体の動くままに任せる。
感覚で書いても、理路はそれなりに伴うものだと思う。
気をつけなければいけないのは、知識の枯渇。
並べ替えて遊べるだけの持ち弾が無くては、身動きが取れない。
勉強しよう。うん。

ところでこういう書き方は、いかに潜在意識に呼びかけるかが
重要なのだと思う。日頃から考えていれば、寝ている間にも
脳はそれについて考える。 で、ある日ぽっ、とあふれてくる。
だから内部的に煮詰まった締め切り前日に最も創造性が高まるのは道理
だけれど、そうするとディテールに気を遣う余裕がなくなるというジレンマ・・
今年こそは早めに手を付けよう、そう思うけれど甚だ不安な、
そんな今日このごろであった。